海外生活

どうやってスペインで最初の仕事を見つけたのか?

どうやってスペインで一番最初の仕事を見つけたの?

そんな事をよく聞かれます。

海外での最初の仕事って、なかなか見つけるのが難しいですよね。
労働ビサを持っていないと、なかなか採用されません。
でも、労働ビサを取るには契約書が必要なので、既にどこかに採用されていなければいけません。

観光ビサで入国して、仕事に就くというのは四方八方塞がりで、なかなか簡単ではありません。

理論的には…です。

でも実際、私の例のように、なんとかなる場合もあります。

そこで、何かの参考や勇気づけになるかもしれないので、私がどの様にスペインで最初の仕事についたか、お話ししてみたいと思います。

こんな事、書いちゃっていいのかなあ、と思う部分もありますが、もう25年以上前の事なので、時効ですよね。

もう一度スペインへ行く

スペインの大学都市、サラマンカに2年間留学した後、私は一度日本へ帰りました。

本当は帰らずに、仕事を見つけて居座りたかったのですが、マドリッドの日本企業で働いた事がある友人に、「現地採用は駐在員にいじめられるからやめた方がいいよ。」と言われたのと(実際、駐在員はいじめません、念のため)、両親も、当時の彼も、日本で私の帰りを首を長くして待っていたので、「やっぱり帰らなくちゃね〜。」と思い、帰ることにしました。

でも日本へ帰って3ヶ月もすると、すぐにスペインでの生活が懐かしくなって、どうしてもまたスペインに行きたい!と思うようになりました。

そして今度は学生ではなく、社会人としての生活を試したいと思ったのです。

そこで、留学時代に知り合った、マドリッドで働いている日本人の友人に相談したところ、「いや〜、無理だよ。今、労働ビサ、なかなかとれないよ。それに、失業率17パーセントだよ。仕事なんて、ないよ〜。」と、とってもネガティブな答えが帰ってきました。

そうなんですよね、何か新しい事をやろうとすると、必ず反対する人がでてきます。
自分に近い人ほど、反対をします。
いつも向かい風に向かって、歩いているような気分です。

でも、反対する気持ちはよくわかるんです。

別に、意地悪をしている訳ではなく、「失敗して大変な思いして欲しくない」と本気で私を心配してくれているのです。

また、「靖子が変わってしまって、知らない人みたくなっちゃうんじゃないか。」って不安になるようです。

そんな事ないのにねえ。

話がそれましたが、そんな反対もどこ吹く風で、再びスペインへ行くことを計画しました。

両親には「また行くから」と言っていたにも関わらず、いざフライトを予約して、行く日を決めたら、

母「え、本当に行くの?」
私「ずっと行くって言ってたじゃない。」
母「本当だとは思わなかった…」
私、心の中で「そんな~~。 本当に決まってるじゃない。嘘ついてどうするの~~。」

そして母が唖然としている中、着々と準備を始めました。

今思うと大笑いなのですが、履歴書を書きまくる為に、タイプライターを持って行きました。
覚えていますか? タイプライター。
一応電動を買いました。
だから変圧器も持っていかなければなりませんでした。
あの頃は巨大で、重かったです。
PCなんてない時代だったので、仕方ありません。

英語にはない、スペイン語独特の文字が付いているタイプライターが必要だったので、御茶ノ水までわざわざ買いに行きました。

そして、今度は就職が目的だったので、真面目な服や靴も持っていきました。

何を思ったか、面接用の真面目な服は、母と私の共作でした。
前日の夜中まで、スカートの裾まつりをチクチクとやっていたのを覚えています。
父は父で、横で私のタイプライターを入れるキルティングの袋を、ガタガタとミシンで作ってくれていました。

今思うと、なんでスペインに行く前日の夜に、みんなで縫い物してたんだろうって不思議です。
買えばよかったじゃない、って思うのですが、お店には売ってない自作物を欲しがる性分の家族だったんです。
ちなみに母は専業主婦、父は建築家です。 ごく普通の家族です。(のはず)

でも、そうやって忙しく縫い物をしていたからこそ、別れの寂しさを感じる暇もなく、それはそれで、ちょうどよかったと思っています。

結局は、その縫い物をしていた夜が、私の日本での暮らしの最後の夜となったのです。

いざスペインへ! まずはお勉強…

そうやって、働く気満々で、スペインに行きました。
仕事が見つからないのに、ダラダラとスペインに残るのも嫌だったので、その時のスペイン滞在は3ヶ月と決めました。
3ヶ月経って仕事が決まらなかったら、潔く日本へ帰るつもりでした。

でも、3か月フルに就職活動に時間を使った挙句、仕事が見つからなかったとしたら、せっかくスペインへ行ったのに何も実りが無かったような気がして嫌だな~と思ったのです。
そこで、まずはスペインの北の町、サンタンデールにある大学の外国人向けスペイン文化コースに2か月行くことにしました。

今思うと、なんて楽観的だったんだろうと呆れます。
残りの1ヶ月だけで、仕事を見つけようと思った訳ですから。

無事、アラスカー北極ーロンドンを通ってマドリッドに着くと、「スペインで仕事なんてないよ~~」と言っていた友人が、空港まで迎えに来てくれていました。
6月の終わりの事です。

サンタンデールは過ごしやすい避暑地なので、友人は「靖子と一緒にサンタンデールへ行く~~」と言って、数日間一緒にサンタンデールに来る事になりました。
何となく心強かったです。
(なんだ、反対するだけじゃなくて、ちゃんと支えてくれてるじゃない~~)

友人と一週間程サンタンデールで過ごした後は、友人はマドリッドに帰り、私は文化コースに専念しました。

そして就職活動の始まり。 苦戦、また苦戦。

そして、2か月の文化コースが終わった後は、仕事探しの為にマドリッドに戻りました。

友人が「うちに泊りなよ」と言ってくれたので、その友人の家に居候です。

最初はスペインでの職探しを反対していたのに、いざ来てしまったら、もうしょうがないと、いろいろと助けてくれた良い友人です。

同じ部屋に寝泊まりするのは修学旅行みたいで、なんだかとっても楽しかったです。

でも、そんなのん気な事は言ってられません。

仕事を探さないと!!

まず狙うのは日本企業。
それには連絡先を調べないと。
でも、どうやって??

そこで思いついたのが、日本大使館に日本企業のリストをもらいに行くことです。

大使館へ行き、日本企業のリストをもらおうとしたら理由を聞かれました。

労働ビサ持ってないのに、「仕事を探しているから」なんて言えない…と思って思わず出た言葉は
「”スペインにおける日本企業の役割”という題名で大学のレポートを書くので、まずはどんな日本企業がスペインにあるか調べたい」。

すると、「少々お待ちください」
と言われた後、応接室に通されました。

「なんだ、なんだ! 私は日本企業のリストが欲しいだけなんだけど、どうした??」
と思っていると、金縁の眼鏡をかけた、頭が良さそうな紳士が現れて、
「こんにちは」と丁寧に自己紹介して、握手の手をさし延べました。

「なんだ、これは」と思いつつも、私も手をさし延べない訳にはいかないので、名乗って力強く握手をしました。

そうすると、「大学のレポートの為にスペインにある日本企業について調べているそうですね。 私が少し説明致しましょう。」
と言って、話を始めました。

うわ!やば!!

と思いましたが、ここで取り乱してはいけないと思い、たまたま持っていたメモ帳を取り出して、紳士が言っていることを一生懸命メモしました。
そして1時間ほど話した後に「じゃあ、頑張って下さいね!」と言ってリストをくれました。

私は心の中で、「はい!就職活動頑張ります! ごめんなさい、嘘ついて。 でもこの恩返しは、いつかしますから!」と叫びました。

さあ、無事リストを手に入れる事ができたので、今度はそれぞれの企業にコンタクトしなければなりません。

リストに載っている企業に片っ端から電話をかけて、人材採用予定はないか問い合わせました。

でもなかなか上手くはいくません。

「今は採用の予定はありません。」とガチャンと感じ悪く電話を切る会社、
「なに? 仕事探してるの? 今うちはないんだけどさ~。 良かったら履歴書送ってよ。空きが出たら知らせるから。」と言ってくれる会社、
「今はないんですよ。 でも頑張って下さいね。」と言ってくれる会社と、反応は様々でした。

この時の経験は、後々人事部で働き始めて、自分がこのような採用の問い合わせを受ける側になった時に、とても参考になりました。
たとえその時に採用の予定がなくても、希望を壊すような事は言うのはやめました。
そして、その希望のエネルギーで、ここでの採用はないけど、他で頑張り続けてくれたら、と思いながら接しました。

また話がずれました。

40社ぐらい電話をかけたでしょうか。
面接にこぎつけた企業もいくつかありましたが、結局採用される事はありませんでした。

そして、仕事が見つかった!!

そして、ちょうど日本に帰る前の、最後の金曜日に運命の日がやってきます。
もうできる事はすべてやったし、金曜日の午後なのだから、仕事探しの事は忘れて週末を楽しもうよ、と言うことになって、映画に行くことにしました。

友人が、その前に職場に用事があるので、ちょっと寄ってから行くというので、私も一緒に行き、建物の下で待っていました。

すると、「上司が靖子と話をしたいっていうから、ちょっと上がってきて」と友人が興奮気味に走ってきました。

私は「なんで~~??」とぽかんとしていると、友人は「早く来て! 誰か採用をしようかと思ってたところなんだって」と言います。

その時の私の服装といったら、タンクトップに花柄のパンツでした。

母と一緒に夜なべして作ったスーツが頭をよぎりましたが、だからといって着替えに帰るわけにもいきません。
「いいのかね~、でも行くしかないよね。」と思って、事務所に入ると、いきなり面接をされました。

気分はもう週末に突入していたので、心の準備もできていないし、映画に行くところだったので、履歴書も持ってきていません。
もう、その時の状況の中で、ベストを尽くすしかありません。

面接が終わると、急いで友人の家へ履歴書を取りに帰り、とんぼ返りで履歴書を提出しに戻りました。

そして、月曜日、採用の連絡受けました。
日本に帰る3日前のことです。
散々不合格の通知をもらった後だったので、信じられませんでした。

そして、往復のチケットで来ていたので、帰りのチケットを使って大急ぎで日本へ帰り、東京にあるスペイン大使館へ労働ビザを申請する事になりました。
スペインで働く場合は、入国の際に労働ビザを持っていなければならないので、労働ビザを持って、また改めてスペインに入国しなおしです。

私を採用してくれた会社は大急ぎで、契約書や推薦状など、ビザ取得の為の大量の書類を作ってくれました。

そして、それを持って日本へ帰りました。
でも今度は日本に住むためでなく、スペインでの新しい未来の準備の為です。

結局、夜なべしてチクチクと縫ったスーツも、レポートを書くふりして大使館でもらったリストも直接仕事を得るのには使いませんでした。

でも、役に立たなかったとは思いません。

私には、そのスーツとか、リストとかに託した意気込みや熱意のようなものが、にじみでていたと思います。
それを感じ、受け入れてくれたところがあって、とてもうれしかったです。


*
・゜゜・*:....:*・゜*

そして、日本にあるスペイン大使館にビサを申請して、またスペインに舞い戻ってきました。

今度は、一人前の人間として生活する為に。
自分がどこまでできるか試す為に。

ふと思ったのは…

夢を叶える為に何でも無茶してでもやりなさい、とは言いません。

でも、試してみるのも良いのではないでしょうか?
叶うかもしれないし、叶わないかもしれない、という気軽な気持ちで、とにかく夢に近づく為に何かをやってみるのです。
叶えば、もうけものです。

私だって、正直言うと、本当にスペインで仕事が見つかるなんて思ってもみなかったんですから。
 

myself p

ゴンサレス靖子

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