自分軸

自分のありたい姿をはっきりさせる事は、幸せに生きる秘訣

「今日が人生の最後の1日だったら何をしますか?」

さっき、そんな懐かしい質問を目にした。

ビジネスを始める前、ひたすら勉強ばっかりしてた時に、よく目についたフレーズだったなあ。

最近はめっきりお目にかからなかったけど。
 

そこで改めて、「私だったら何するかな?」って考えてた。

でも、「あれ?」と思った。

おいしいものを食べるとか、好きな所でのんびりするとかいう答えが多いと書いてあったけど、これって状況によって、何するかは全く違うんじゃないかな。
 

私には、3つの状況が思い浮かんだ。

1. 大きな彗星が地球に接近していて、明日地球に衝突し、人類滅亡する。

(アメリカのB級テレビ映画の見過ぎかな)
 

2. さっき食べたキノコが毒キノコで、あと24時間しか生きられない 。

(今ちょうどキノコ狩りの季節で、「毒キノコに気をつけなさい」とあちこちでうるさいので、思いついた。)
 

3. 病気を患って、入院中。お医者さんに「あなたの命は、あと24時間です。」と宣言された。

(実際、私は、「お父さんの命はあと24時間位です。」とお医者さんから言われたことがある。)
 

きっぱり言えるのは、どんな場合でも、残された時間で、おいしいものを食べるとか、好きな所でのんびりするとか、そんな呑気な事は言うはずない。

「今日が人生で最後の1日です。」なんて言われたら食欲なんかどこかに行ってしまう。

そして、ナーバスになって、のんびりなんか、できっこない。

でしょ?

そう思いませんか?

そして、「明日、自分は死んでしまう。」なんて想像するのは、気が滅入る。

 

だから、この質問って、ナンセンスだなって昔思ったことを、再び思い出した。

(記憶力が悪いのでそんな事も、忘れていた。)

この質問は、本当に自分がやりたい事が何なのか、ということを発見するのが目的らしいけど、答えは出ないよね。
 

一方、「明日、自分が死ぬとして、やっておけばよかったと思う事はなんですか?」という質問をされたことがあるけど、この方がマシ。

いかに、やっておきたい事をやらずに、やらなくてもいい事をやっているか気づかせてくれる。

でも、「明日死ぬとして,,,」と言われて、やっぱりちょっと気が滅入る。

自分が明日死ぬ姿を想像したくない。 
 

それよりも、私のお気に入りは「自分が死んだ後、自分はどんな人だったって、みんなに言われたいか。」という質問。

「親切だった。」

「勇気がある人だった。」

「面倒見がいい人だった。」

「人の気持ちをよく理解してくれる人だった。」

「陽気でいつも私の気分を明るくしてくれる人だった。」

などなど、ポジティブな事ばかりのはず。 

そして、それが、自分がありたい姿。 

予定では、自分が死ぬのは、まだずいぶん先。(と仮定するよね、大体の人は)

今現在、まだそのありたい姿に自分がなっていなかったとしても、これから死ぬまでの間に、なれるようにをすればいいわけだ。

前向きでいいじゃない!
 

何をやりたいかをはっきりさせるのは、もちろん大事だけれども、それ以上に大事なのは、自分がどうありたいかという事だと思う。

やりたいことがわからなくても、幸せに生きることはできなくはない。

でも、自分がどうありたいか、はっきりしていない人生は、不安だらけのグラグした人生。

いつも迷ってばかりの人生。

どうありたいかをはっきりさせて、それに向かって生きていく人生は、きっと悔いのない人生になるんじゃないかな。

そして、もしやりたい事がわからなかったとして、「ありたい自分」に向かって進んでいくうちにきっとはっきりとわかるようになるものだ。

P.S

この写真だけど、私が入る予定のお墓だよ~。

この前旦那と掃除をしに行って、「右側と左側、どっちに入りたい?」なんて話をした。

私「右。ご先祖さんと一緒でいいよ。」

旦那「俺は左がいいかな、お前も左にしておいてよ。」

ん~~、まだ、そんな事どうでもいいよ。

ゴンサレス靖子

 

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