父が3月初めに永眠しました。
癌の宣告を受けてからたった6か月です。
宣告をされた時は余命は1年と言われたので、
もしかしたら医者の誤診で、
もうちょっとしたら、「まだまだ大丈夫です」と
言われるんじゃないかと、医者の言葉はあまり信じませんでした。
というか、信じたくなかったので、信じられませんでした。
それでも、「念のため」と思い、
友人との予定をキャンセルして
父と一緒に出掛けたりしていました。
普段私はマドリッドに住んでいるのですが、余命1年と宣告された日は
ちょうど日本に帰省していたのです。
それから3か月後、母と弟が父と共に病院に呼ばれ、
今度は余命6か月と言われました。
余命が短くなっている!
ここで病気の重大さを実感しました。
とりあえず父に会おうと思い、日本へ帰りました。
冬に日本へ帰ったのは約20年ぶりで、
父はものすごく喜びました。
病院へ一緒に行ってその帰りに食事をしたり、
外食に出掛け、その帰りにぶらぶらと
町を歩いたりして、
父とたくさんの時を過ごしました。
父は母に言ったそうです。
「あの子はスペインなんていう遠くの国に行っちゃって、
まったくしょうがないねえ、って最初は思ったけど、
まあ、年に何週間か来て泊まっていくから
一緒にいる密度は濃いよなあ。
この辺に住んで、日帰りでちらっと1か月に1回来るよりは
案外このほうが絆が深まっていいよな。
ま、結局スペインに行って良かったのかもしれないな。」
父はそんな風に思っててくれてたんだ…
「10年ぐらいしたら帰って来るから」と言って
日本を出たまま結局スペインに居ついてしまった事に
ちょっと罪悪感を感じていた私には
なんとも嬉しい言葉でした。
父とはもう会話することも、姿を見ることもできないと思うと
悲しくて胸が押し付けられ、息が苦しくなります。
でも、意外な感情、
「充実感」のような不思議な感情も感じるのです。
父が逝って、まさか「充実感」を感じるなんて
予想もしていませんでした。
逝ってしまう1か月前に、
聞きたいと思っていた、父の死に対する思いを
話してもらう事ができました。
父は、思いっきり好きな事を
たくさんやって生きてきたので、
人生に悔いはないと言っていました。
ただ、母を一人にしてしまう事と
今年の絵画展で、もう賞を目指すことができない事だけが
心残りだけれども、それはしょうがないね、と。
父は思いっきり生きていい人生を送りました。
そして、私はこの父が、この世を去る瞬間を見届けました。
そして終わりを感じました…
そう、父の人生が大成功に終わった…
それを私が見届けた…
どうやらそれらが「充実感」の元のようです。
今回の父の死で、思いました。
思いっきり生きるという事は、限りなく大切です。
思いっきり生きるというのは、
パーティーへ頻繁に参加したり、
毎日友達と合ったり、
旅行に行ったりという事ではなく、
自分に忠実になり、
自分がこうした方がいい、これをやりたい、と
思う事をなるべく多くやることです。
それは、とても些細なことかもしれません。
子供と一緒に遊ぶことかもしれないし、
パートナーと散歩をすることかもしれないし、
ギターを弾くことかもしれません。
絵を描くことかもしれません。
一瞬一瞬を大切にして、自分の好きな事をして思いっきり生きて下さい。
人生の成功って、どれだけお金や名声を得たかではなく、
どれだけ自分の好きな事をしたか、という事のような気がします。
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