海外生活

国際人になるという事

 

国際人ってどういう人?

 

「国際人になるにはどうしたらいいのでしょうか?」

そんな質問をたまに受けます。

 

まずは、国際人とういうのは、どういう人の事か考えてみましょう。

 

外国語ができる人?

日本を良く知っていて、外国人に説明できる人?

海外の習慣を良く知ってる人?

自分の考えを主張できる人?

 

巷ではこんな事が良く言われています。

確かにその通りではあるのですが…

 

ただね…

 

言葉さえできればいい? サラマンカの3人のクラスメート

 

外国語ができればいいっていうものでは、ないんですよ。

この事を考えるたびに、サラマンカという、スペインの北西部の町で勉強していた時の事を思い出します。

 

クラスには、特に私の気を引いた3人がいました。

全員スペインから見た外国人です。 (日本人も外国人)

 

1人はスペイン語が達者だけれども、傲慢なクラスメート。

 

2人目は、同じくスペイン語自体はパーフェクトに話すし、成績も良かったけど、どうい訳か何を話していてもピンと来ない人。

覇気がなくて、生きているか死んでるんだか、わからない。

会話もつまらない。

 

3人目はスペイン語は片言だけれども、自分の信念や考えをはっきり持っていてながらも、人の意見も受け入れる人。

そして困っている人がいると真っ先に手を差し伸べる人。

彼は画家でした。

 

1人目のスペイン語が達者な彼は、雄弁にスピーチをしますが、その内容は攻撃的でした。

人を中傷する時もありました。

友人同士で話していても、まずは仲間の言った事を否定します。

最後には、みんなに避けられるようになりました。

 

2人目の会話がつまらないクラスメートは、みんなから避けれはしませんでした。

ただ、いつも、まるでそこにいないかのように扱われて、パーティやイベントに呼ばれる事はありませんでした。

 

3人目の画家のクラスメートは、言葉ができないのに引っ張りだこで、モテモテでした。

どんな時でも、人の話を「うん、うん」と言ってよく聞きます。

誰かが転んだら、真っ先に駆け寄って手を差し伸べたり、お年寄りが重い荷物を持っていたら、代わりに運んであげます。

言葉が達者でなくても、彼の誠実さはみんなに伝わりました。

 

言葉はコミュニケーションのツールの一つです。

言葉が出来ないときは、他の方法でコミュニケ―ションすればよいのです。

そして、大切なのはコミュニケーションそのものではなく、コミュニケーションの内容です。

 

日本の事を、スラスラと外国人に説明できればいい?

 

国際人の条件として ”日本を良く知り、説明できる人”、というのも微妙です。

もちろん、日本の歴史や文化や習慣を外国人にスラスラと説明できたら、カッコいいです。

 

でもね…

 

たとえ日本で生まれ育った日本人でも、それぞれの人が思っている日本って結構違うんです。

それを、スペインに来て始めて実感しました。

 

「日本ってこうだよね~~」と言われて、

「そんなバカな~~、それは有りえないよ」と思う事がしょっちゅうありました。

もちろんその反対もありで、

私が「日本ではこうだよね~~」と言ったことに対して、

「え~~、そんな事ないよ~~」と言われる事も何回もありました。

 

たとえば…

些細な事ですが、スペインに来て一番最初に起きた事なので、よく覚えています。

 

「日本の家って寒いじゃない~~。」

とAちゃんがいうと、周りにいた日本人達は

「そうだよね~~」と言って

”日本の家は寒い”話に花を咲かせます。

私の実家は、典型的な中流家庭が住む首都圏の高層マンションです。

だだっ広い訳でもないし、四方八方の家とぴったりとくっついているので、家の中が寒いと感じた事は一度もありません。

「日本の家は寒い」という事は、私にとっては新たな発見です。

Aちゃんたちは

「トイレへ行くまでの廊下が、また特に寒いんだよね」

「そうそう!!」

なんて言います。

私の実家のマンションは、こじんまりとしていて、トイレまでの廊下なんてありません。

あるのはせめて「踊り場」です。

 

寒いのは「日本の家」ではなく、Aちゃん達の家なのに、いつの間にか、日本人全員が、Aちゃん達と似たような寒い家に住んでる事になってしまっています。

この会話を横にいたスペイン人が理解したとしたら、「すべての日本の家は寒いもの」と思い込んでしまうでしょう。

 

そんな事はしょっちゅう起こりました。

 

だから私は「日本ではどうなの?」と聞かれると、思わず緊張してしまう事が多かったです。

「これって、私はこうだけど、一般的に日本ではどうなんだろう、私って一般的な日本人?」と、ぐるぐる考えを巡らせてしまうのです。

そして、何とか客観的に答えようと思って、政府発行の”何とか白書”に書いてあるような、面白味のない返事をしてしまう事も、度々ありました。

 

私達海外在住者は、日本に住んでいた時に接点があった人から成る小さな社会の常識が、自分にとっての日本の常識になってしまいます。

接点があった人は日本の人口のほんの一部です。

何人ぐらいでしょうか?

友達、知人、職場の人、学校の仲間…

100人、200人、300人…1000人…

いずれにしても、自分と接点がなかった人の方が多いですよね。

 

たとえば、Aさんが属する小社会と、Bさんが属する小社会には全く接点がなくて、全く違う価値観や常識を持っていたとします。

でも、Aさん、Bさんがスペインに渡航して住んだ場合、「スペインに住む日本人」という新しい接点ができて、つながったりする訳です。

ただ、スペインに住む日本人という物理的な事以外にはお互いに接点がないので、価値観も常識も全く違うAさんとBさんが考える日本は、全く別のものになってしまうわけです。

え、これ同じ国の事を言ってる?? という具合です。

 

だから、私達が伝えてる「日本の事」というのは、結構いい加減なものです。

というか、色々な見方があるので、それほど重要視しなくても良いのではないかと思うのです。

 

まあ、人口や、歴史的事件など、はっきりとした事実があるもは、すぐにで調べられるので、聞かれそうな場面に出くわす時は、調べておいた方が、カッコよく答えられますね。

でも、それだけの事です。

 

海外の習慣を知ればいい?

 

海外の習慣を知る…

まあ、そうですね。

一歩自分の国を出るといろいろな事があります。

 

スペインでは初めて会った人や、しばらく会ってない人に再開した時は、両頬に1回づつキスをします。

これが嫌という日本人は多いです。

 

ユダヤ教の会堂は女性と男性は別々の部屋でお祈りをします。

うっかり気づかずに、違う部屋へ入ってしまったら大変です。

 

イスラム教はラマダンという絶食期間があり、教徒はラマダン中は太陽の日が沈むまで食事をしません。

 

では、その常識を、ひとつひとつ調べますか?

ネットで検索ですか?

本を読みますか?

誰かに聞きますか?

世界の国数は196カ国です。

何国制覇しますか?

 

結局大切なのは…

 

国際人になるって、そんなに気張らなくてもいいと思うのです。

国際人って、どんな国に行っても暮らしていけるという事ではないですか?

だったら、全人類が共通に大切に思っている事を探せばいいのです。

 

それは…

 

誠実さ。

人を思う心。

 

そう来たか、と言わないで下さい。

だって、これを嫌う人っていないですよね。

 

この2つに、自分と違う価値観にオープンである事をプラスすれば、どんな国に行っも大丈夫です。

言葉が出来なくても、日本の事を知らなくても、海外の事を知らなくても、自分の主張ができなくても、誠実であり、人を思う心があり、自分と違う価値観にオープンであれば大丈夫です。

その他の知識は必要であれば、後からついてきます。

反対に、いくら言葉ができても、日本や海外の生き字引でだとしても、不誠実で、自分勝手で、自分と違う価値観をすべてシャットアウトしてしまう様なら、自分の小さな社会の中で生きるしかありません。

もしかしたらそれさえも難しいかもしれません。

 

結局のところ、あなたがどういう人間であるか。

それに尽きるわけです。

 

だから本当の国際人なんて…

特別な事ではないのです。

 

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ゴンサレス靖子

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