久しぶりに結婚式に出席してきました。
ウイズコロナ仕様の結婚式で、式をやった教会も、その後の披露宴も収容人数の半分しか入っていなくてガラガラ感がありました。
コーラスもマスクしたまま歌っていて、息継ぎなど大変そう…と思ったものの、まったくそんな風に感じさせられることなく、きれいな歌声を聞かせてくれました。
式は去年計画していたのに、コロナ禍で、1年以上延びてしまい、やっと集まれるようになってできたものでした。
幸せそうな2人と、心から喜んでいる家族や友人たちを見て、ほのぼのとした気分になりました。
結婚を決めてから式までの期間が長かったせいか、噂話をされる期間も長く、新郎がポロポロと批判されていました。
「新郎は、自分の意見をあまり持たずに、人の意見に流されてばかりいる。」
「結婚前から奥さんや、奥さんの子供たち(新郎新婦とも再婚です)の尻に敷かれている」
などという言う批判でした。
実際に会って話をしてみると、「なるほどね。」と思いました。
新郎は、確かに人の意見を受け入れます。
例えば、披露宴の時に選んだ音楽が、ものすごくボリュームが大きくて、リズミカルな音楽で、多くの人がうるさすぎると言っていたのですが、誰かがそれを新郎に言ったところ、
「新婦の子供たちが選んだんだよ、これが最高って。それを嫌だって言うわけにはいかないでしょう。」と答えました。
これを、「尻に敷かれてる。」と感じる人もいるのかもしれませんが、彼は満面の笑顔を浮かべて、とっても嬉しそうに言っていました。
明らかに大満足していました。
彼の一番の幸せは、周りの人がいいと思っていることをやることなんです。
いわゆる「尻に敷かれる」ことが幸せなわけなんです。
だったら、それでいいじゃないですか。
私は何人もの、そういった方を見てきました。
そういった人達は、確かに「自分の意見をもっと持って。」などと批判をされることがあります。
でも、決して意見がないわけじゃないんです。
自分の意見よりも、人の意見の方が興味があるんです。
そして、それを尊重することが、自分にとっての喜びなんです。
人それぞれ、喜びの元みたいなものは違います。
もしこれを読んでらっしゃる方の中で、「自分の意見をもっと持たなきゃ。」と無理をしている方がいたら、もしかしたら似たケースかもしれません。
だとしたら、自分にとって一番心地よいのは、どんな時か考えてみて下さい。
自分の意見を主張する時か、それとも人の意見を尊重する時か。
もし人の意見を尊重する方が心地よいなら、それが自分の自然な姿です。
無理をして、自分でない誰かになろうとせずに、その「他人の喜びが自分の喜び」という強みをうまく強化して、もっともっと素敵な人になった方がきっとすべてがうまくいくはずです。
ゴンサレス靖子