自分が言ったり、行った事に対して、人がどう思うのか、とても過敏な人がたくさんます。
「こういうことを言うと、気を悪くしてしまうんじゃないか。」「これをやると、イヤな気持ちにさせちゃうかなあ。」などど考えしまい、言うのもやるもの躊躇してしまうのです。
言ったら言った、やったらやったで、「本当に、これでよかったのかな? 気を悪くしてないかな?」とザワザワしてしまいます。
そんな時に、少しでもネガティブな反応を受けると、「あ~~、私ってダメだ。」とガクンと落ち込んでしまいます。
また、周りにイライラしている人がいたり、場の雰囲気が悪いと、「私何かしたかな?」「あの時ああいったのが気に障ったかな?」と、くよくよと気にしてしまいます。
こうやって、苦しくなる事が多くなる資質ではありますが、それと同じぐらい素晴らしい面もあります。
いつも人の事を気にかけています。
他の人が気づかないような、しょんぼりしている人や、困っている人がいると敏感にキャッチして、助け船を出します。
とても優しい人達です。
人が何を欲っしているのかわかるので、その人が本当に必要としてる方法で助けを差し伸べる事ができます。
かゆいところに手が届くような、細かい配慮も大得意です。
いつも人の事を考えてくれるので、個人的にはこの資質を持った人は大好きです。
今でこそ、私は人の反応はあまり気にせずマイペースで過ごしていますが、16歳ぐらいまでは、ものすごく人の反応を気にする子供でした。
「これはつらすぎなあ」と思うようになり、ある日「人の気持ちを気にしすぎるのはやめよう!」と決心をしました。
どれだけつらかったかというと、それが原因で(他の要因もあったとは思いますが)自律神経失調症の病気になったぐらいです。
13歳の時の事です。
でもその時は、精神的な負担が体に出ていただなんて、思いもしませんでした。
親もお医者さんも、そんな事言わなかったし、それなりに楽しく過ごしていた部分もあったので、13歳の子供にはそんな事はわかりませんでした。
「あの時は、精神的負担が大きかったから、あの病気になったんだろうな..。」と随分後になってから気づきました。
どのタイミングで「人の気持ちを気にしすぎるのはやめよう!」と決心をしたのか覚えていないのですが、決心してからは、随分といろいろな本を読みあさりました。
(まだネットがなかった時代です。)
そんなこんなして3年ぐらいたった頃に、人の反応はあまり気にしないマイペースな自分になっていました。
「本を読んだあと、何をやったっけ?」と考えてみました。
まず「人は自分が思っているほど、自分の言ったことや行動を気にしていない。」と、事あるたびに思うようにしていました。
そして、それを実証することができるような場面をたくさん作りました。
たとえば、気になってる人に「あの時は、ああいう言い方して、なんだかいけなかったかな、気を悪くしちゃったかな、って心配なんだけど。悪気はなかったんだよ。 で..。」のように率直に話しをしました。
相手の反応を見て、「なんだ、全然気にしてなかったじゃない。」と思ったことがたくさんありました。
そんなことを繰り返しているうちに、ある地点から、「なんだ、やっぱり人は自分が考えてるほど気にしてないんだ。」とストンと腹に落ちしました。
それからというものの、マイペースに拍車がかかって今に至っています。
ただ、普段はそうやって人の反応を気にせずに過ごすようになりましたが、気にしようと注意を払うと、割と人の心の動きを読むことができます。
必要な時だけ心の底にある、あの資質をひっぱり出せるようになったのかな、と都合よく考えています。
私の例がいいのかどうかはわかりません。
でも、今、人の気持ちを気にしすぎてつらい状態にいても、将来もずっとつらいわけではなく、よい部分はそのままにして、もっと楽に生きることは可能だという事を証明しているような気がします。
ゴンサレス靖子