前回、「日本に行かないのは、不可効力ではなく、自分の選択だと思うと、気が楽になります。」と書きました。
それに対して、「父の死に目に会えず、お葬式にも初盆にも帰れなかったことが、自業自得だと思うと、とても父に申し訳なくなり、悲しくなりました。」という感想を頂きました。
私の書いた事が、そんな気持ちを引き出すことになってしまって、本当に申し訳なかったと思っています。
決して「日本にはいつでも行けるから、行きたかったら行ってきなさい。行かないのはあなたが選択した事で、そのために起こったことは、すべて自分のせいです。」と言うつもりで書いたのではないのです。
人にはそれぞれの事情があって、何が不可抗力か(法律的な意味ではなくて)ということは、一概には言えないし、まして私が人の事をとやかく言える立場でもありません。
私が、「自分の選択」と言ったのは、そう思う事によって、自分の気持ちが落ち着き、元気になれるからです。
ただし、これは、私の場合の事を言っているのであって、すべての人がそうだとは思っていません。
私にとって、自分の人生を自分でコントロールしているという感覚を持つ事は、とても大切な事です。
ですので、”すべての事は自分で選択をしている”という気持ちを持つ事で、気持ちが落ち着いたり、力が発揮できたりします。
反対に ”不可抗力で、自分には選択の余地がない” と思うと、イライラしたり、悲しくなったり、やる気をなくしたりします。
だから、昨年の夏に、既に購入していた日本行きフライトがキャンセルになってしまった時は、何となく追い込まれたような気持ちになりました。
その時期は制約が多かったので(といっても、今の方がとてつもなく多くなってますが)、どちらにしても、行くつもりはなかったのに、選択肢を奪われた事が、私にダメージを与えたのです。
「どっちにしろ日本に行かないんだから、どうでもいいじゃない。」と理屈では思ったのですが、感情は追いついていませんでした。
そうやって、感情が論理的な事実に追いつかない自分にもイライラしました。
そして、そんな自分自身を脱皮したかった事もあって、思い切って11月に日本に行きました。
その様子はブログに書いています。
しかも、こんなタイトル。
↓ ↓ ↓
「恐怖におびえながら日本にやってきました。」
こんなコラボブログも書きました。
↓ ↓ ↓
「目標志向と達成欲で、どうしても諦めきれなかった日本行き」
あの時、日本に行ってよかったと思っています。
無事、脱皮できました。
「いつでも行ける。」「日本に行かないのは、不可効力ではなく、自分の選択。」と思えるようになって、自分の人生を自分自身がコントロールしている感覚が出てきて、イライラや悲しみが吹っ飛び、再びエネルギーが湧いてきました。
私にとって、「いつでも行ける。」「日本に行かないのは、不可効力ではなく、自分の選択。」と思う事は、元気の源なのです。
ただ、すべての人が私と同じように、そう考える事で元気が出るわけではありません。
私とは反対に「不可抗力だから行けないんだ。」と思う事によって、落ち着き、エネルギーが出てくる人もいます。
そのような人は、「自分の選択で、あれができなかった。」と思うと、必要以上に自分を責めてしまい、エネルギーを消耗してしまいます。
このタイプの方は「自業自得」という言葉をよく使うかもしれません。
ちなみに私のようなタイプは、「自業自得」と言って、自分を責める事は、まずありません。
どちらかというと「ちょっとは反省しなさい!」と周りから、おとがめを受けます。
一つの正解というのはなくて、自分に合った正解を見つける事が、生き生きと生きていける秘訣なのです。
そして、その正解もどんどん変わっていったりします。
ゴンサレス靖子