私は「人の才能や能力を信じる事ができる」資質を持ちます。
こう言うと、響きはいいですが、20代の頃は、これを強みとして活かす事ができずに、結構失敗したこともあります。
割と頻繁に、本人たちが思っている以上に、「この人は、すごい才能がある。」と思う事があり、それが失敗につながるのですが、特に記憶に残っている出来事があります。
それは、自分がやっていたバンドを破局に向かわせた事です。
一緒にやっていたドラマーは、パワフルで、才能に溢れていました。
もちろん仲間にも観客にも大評判でした。
私も、彼女のおかげで、このバンドが成り立っていると思っていました。
作曲を担当していた私は、ある時、一風変わったドラムの曲をつくりました。
いつも、超ロックの曲ばかりやっていましたが、突然レゲエ風のドラムの曲を作りたくなったのです。
最初は彼女も乗り気でした。
でも、やり始めてすぐに「わかんないよ、これ、どうやったらいいか。」とか「できないよ。」と言い始めました。
アクセントの位置が、ロックとは違うので、確かに違和感があったかもしれません。
でも私は彼女の能力を信じていたので、「できるよ。 さあ、もう一回。」と言って、うまくいかなくても、何度も何度もくりかえし一緒に練習していました。
そんなある日、彼女がバンドを辞めたいと言い出しました。
理由は、あの曲にうんざりしたから。 もうあの曲はやりたくないと。
これで私は、はっとしました。
彼女の「できないよ。」という言葉を無視していたことに気づきました。
私の頭の中には「能力も才能もあるんだから、できないはずはない。」という考えしかなく、「だからやればできる!やって。」と思っていたのです。
実際に、できる能力は彼女にはあったと思います。(懲りてない…(笑))
でも、それは実はどうでもいいことだったんです。
重要だったのは、彼女がその曲を好きだったか、やりたいと思ったかどうかだったんです。
そんなことは、私の頭の中にはありませんでした。
その後、この曲はやめる事になったのですが、それでも彼女は次にどんな曲を持ってこられるのか、警戒していたように感じました。
私も「まずはメンバーに気に入ってもらわなくちゃならないな。」と思うと、作曲も進まず、なんとなくバンドに元気がなくなりました。
そうこうしているうちに、私のスペイン行きに日が近づいてきて、そこでバンドは終わりました。
これが、私が人の能力や才能を信じることを悪い方向に使ってしまった例です。
いくら能力や才能があっても、本人がそれをやりたくないのなら、やる理由はありません。
それを「できる、できる!」といってやらせるのはナンセンスです。
いい教訓になりました。
でも、「この人には才能や能力がある」と感じる事は避けられません。
資質とはそんなものです。
ですので、そう感じた場合は、それとなく言ってみて、あまり興味がなさそうなら、その話題は続けない事にしました。
こうやって、この私の資質を、悪い結果がでることに使う事はなくなりましたが、強みとして活かすところまではいきませんでした。
でも、そんな私の資質を強みとして、使える仕事がありました!
今のライフコーチの仕事です。
「やりたいと思っている事があるけど、できるかどうか不安。」と言っている人にできる要因をたくさん言うことは得意です。
「何をやりたいかわからない」と言っている人に、「あなたには、こんな才能があるんですよ。」と言う事はできます。
というか、言いたくてうずうずしています。
それを思いっきり言う事ができるのですから、もう楽しくてしょうがありません。
そうやって、資質を強みとして使えるようになり、大満足です。
ちなみに、このドラマーの彼女とは今でも親友です。
相変わらず、おじさんバンド、若手バンドの話に花を咲かせています。
ボヘミアン・ラプソディーも日本で一緒に見ました。
かれこれ40年の付き合い。
バンドはなくなってしまったけれど、人間関係はしっかりと続いていて嬉しいです。
ゴンサレス靖子