マドリッドもいよいよ食料品店(スーパーも含む)と薬局以外のすべてのお店が、しばらく閉まる事になりました。
マドリッドに住む日本人の友人と「マドリッドのバルが一斉に閉まる日が来るとは思ってもなかったね~。」と言っています。
何といってもスペイン人は、バルに集まってビールやワインを飲みながらお話するのが大好き。
人口200人の小さな村へ行った時も、唯一あったお店がバルでした。
スーパーや薬局よりもバルが優先されるなんて、バルにかける熱意を感じます。
コロナが流行りだしてから、日本にいる家族や友人達の事を心配していたけれど、今度は反対の立場になってきました。
私は早くから危機対策をしていたので(私というより旦那)あまり慌てる事なく、今は家にこもっておとなしくしています。
このご時世になってから日本の親友と毎日連絡をとるようになりました。
この前、「”コロナ離婚”なるものが話題になってるよ」と教えてくれました。
日本は、次々といろいろな造語がでてくるから面白いですね。
(”造語”が面白いのであって、”コロナ離婚”の状況が面白いわけでないですよ~)
その話を聞いた時に、解決策として「まず理解に徹し、そして理解される」という言葉を思い出しました。
”まず理解に徹し、そして理解される”は、有名なスティーブン・コヴィーが書いた本、”7つの習慣~人格主義の回復”にある、第5番目の習慣です。
自分の事をわかって欲しいという思いは誰にでもあるもの。
そして、相手にわかってもらえない時は、ヤキモキ、イライラ。
そんな状況はよくある事ですよね。
でも、相手の考えや気持ちを変えようとするのは大変。
というより、変えるように影響する事はできますが、実際どんな考えや気持ちでいるかは、相手が決める事です。
だから、決定権は相手にあり、自分ではどうしようもないのです。
まあ、そこがイライラする点なのですが。
だったら、「自分に決定権がある事から始めてみましょう、それは、まず相手を理解する事」という提案です。
相手を理解しようとする事は、相手を変える事と違って、今すぐに、自分一人できます。
こう考えてみるのです。
「そんな風に思う理由はなんだろう?」
「そのバックにはいったい何があるんだろう?」
このコヴィーおじさんは”7つの習慣”の中でこんなエピソードを語っていました。
ある日、ニューヨークの地下鉄の中で起こった事。
一人の男性が子供たちを連れて乗ってきました。
子供たちは駆けまわったり、大声を出したり、物を投げたりして騒ぎだして、それまでの静かで、平和な雰囲気が壊されました。
お父さんらしき人は、じっと動かず、目を閉じて、知らん顔でした。
コヴィーさんは、最初は我慢していましたが、ついに耐えられなくなり
「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」と言ってみました。
そうすると、その男性は、
「ああ、本当にそうですね。
どうにかしないと。
たった今、病院から出て来たところなんです。
一時間ほど前に妻が…あの子たちの母親が亡くなったのです。
いったいどうすればいいのか、わからなくなってしまっって……。
子供たちも混乱しているみたいです」と答えました。
それを聞いて、コヴィーさんの気持ちは、一瞬にして変わりました。
今までのイライラした気持ちは消え去りました。
そして、その男性の痛みが心いっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出てきました。
そして、こう言いました
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
こんなエピソードでした。
こういう事もあるんですよね。
イライラさせられる行動でも、もしかしたら相手にはそれなりの事情があるのかもしれません。
自分を理解してもらうおうと思う前に、相手の事情を理解してみようとすると、違った世界が見えてくるかもしれません。
同意はしなくてもいいけれど、寛大な気持ちで受け入れて見ると、人間関係がスムーズにいくかもしれません。
こんな大それた事でなくても日常の中でも、たくさん活かせる場面がありますよね。
普通の会話をしているのに、ものすごく感じ悪い返事をされたときは、「寝不足だったから、こんな感じ悪い返事するのかな。」とか。
どうしても一つの事に固執して譲らない相手の事は「これが好きで好きでしょうがないからから、どうしても譲れないんでしょうね。」とか、考えてみる事もできるかもしれません。
”7つの習慣”には人生を良くするヒントがいっぱいです。
外に出られないこんな時期に読んでみるのもいいかもしれません。
ゴンサレス靖子