好きな事をして生きる

「好きな事をやろう」と言えない環境にいる人達

東京オリンピックに参加したベラルーシのアスリートが、亡命を求めたニュースを見て、いろいろと思い出した事があります。

私達日本人は、自由で、亡命など考えなくてよい環境に生まれて本当に良かったと思っています。

そして、この自由を当たり前と思わずに、最大限有効活用しなきゃ損です。

つくづくとそう思わされる場面に何度か会いました。
 

私がマドリッドの外国人向けスペイン語教室へ通っていた時、スリランカから亡命してきたクラスメートがいました。

ネイティブ並みのスペイン語を話す、威勢のいい女性でした。

当時のスリランカはかなり激しい内戦中でした。

彼女は軍隊所属。 

第一線で戦っていたそうです。

そこで何かが起こって、スリランカにとどまっていては、身の危険が出てきたらしいです。

会話の中でたまに、「私はほら、故郷にもどると殺される恐れがあるから。」と言っていたことが印象に残ります。

スペインに来ることは許されていなかったので、スリランカからエジプトに(だったか…他の国だったか…)行くふりをして、バルセロナでのトランジットの時に、亡命申請をしたとか。

両親も兄弟も彼もおいて、いわゆる裸一貫で来たわけです。

スペインでは、それなりに幸せそうな生活をしていましたが、やはり、スリランカに帰りたい様子は隠せませんでした。

内戦が終わった今では、もう帰れたかなあ、なんて時々思い出します。
 

また、ユーゴスラビアという国があった時、その国からの留学生達とも一緒のクラスになりました。

「どこの国出身?」と聞くと、彼女たちは「スロベニア」と答えました。

私達が「それどこだ?」という顔をすると、「ユーゴスラビアと呼ばれている国の一部だよ。」と答えていました。

あの頃は、まだインターネットがなかったので、祖国の人達とのコミュニケーションは、手紙です。

なのに、そのスロベニアからの留学生たちは

「手紙なんか書かないよ。 政府が開けて全部読むからめったなこと書けないし。 自分では何気なく書いた事が、政府の目に留まったら大変。 それに時間かかりすぎ。 自分が国に帰った何か月後にとどくんじゃない。」と言いました。

まだ半年の留学期間が残っていたときときの言葉です。
 

また、アフリカのガボンの大学と提携していて、そこからきた留学生の団体もいました。

何かのカクテルの時に、目の色を変えて人を押しのけて食べ物に突進です。

15人ぐらいいた、ガボン人学生全員です。

私の日本人のクラスメートは、ゆで卵が半分に割ってあって、その上にマヨネーズと生ハムがパラパラっとかかっているものを取ろうとした時、ガボンクラスメートに突き飛ばされて、大喧嘩。

自国には食べ物はあまりないのか、それとも卵が珍しいのか、なぜ突き飛ばすほど卵に目の色を変えたのか、興味がわいてきて後々理由を聞いてみようと思ったのですが、残念ながら、その機会もありませんでした。

(もちろんダイレクトには聞きませんよ。「ガボンには、どんな卵の料理方法があるの?」「日本では毎日朝食にゆで卵食べる人が多いけど、ガボンはどお?」とか)
 

はるか昔の出来事ですが、そんな体験は、私の中に一つ一つ落とし込まれいます。

厳しい環境の中では、「好きな事をやっていこう」なんて思うのはぜいたくで「今死なない努力」をするのが精いっぱいです。

「好きな事をやっていこう」と大声で言える、自分の恵まれた環境に感謝です。

これを読んでいるあなたも、私と同じように恵まれた環境にいると思っています。

自由や恵まれた環境は、失ってから初めて気づく事かもしれません。

でも、失う前にそれに気づき、じっくりと味わうと、また違った視点で自分の生活を見つめる事ができるのではないかと思っています。

私の場合は、些細な事でも幸せをたくさん感じることができるようになりました。
 

ゴンサレス靖子

 

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