コーチの私がこう言うのも何ですが、私達は結果を求めすぎているような気がします。
こういう結果が出ないならやる意味がないとか
こういう結果が出ないと幸せじゃないとか、
とにかく思い通りの結果が出る事を重要視しすぎているような気がするのです。
物事がどんな結果になるかは、やってみないとわかりません。
今、やろうとしている、またはやりたいと思っていることで、いい結果が出るのがわかっていることはどれだけあるでしょうか?
いい結果がでるとわかっている事だけをやるとしたら、何もできなくなってしまいませんか?
別に100を目指さなくったいいのです。
また、ゼロから急に100に行くのは無理な話です。
20や 30や 50を通って100にいくものです。
ただ、確かに、ゼロから出発して 自分の目指している地点に着くまでは長い時間がかかります。
だとしたら、そこに行くまでのプロセスや道のりが楽しいか、好きか、という事がかなり重要になってきます。
例えば私は、今流行りのチャットGTPに触れて「書くプロセスの楽しみ」を改めて認識しました。
チャットGPTはアイデアの壁打ちや、仕事以外の、例えば電気会社やガス会社へのクレームなどの日常の文書作成に便利に使っています。
(どれだけクレームしてるんだって感じですが…まあ、スペインなので。)
最近、仲間内で「チャットGPTに仕事の文章(告知・サイト・説明文など)を書いてもらうことができるよ。」という話になった時がありました。
その時私が思ったのは「いや、書いてもらうこともできるだろうけど、私が書きたい。」と思ったのです。
料理が好きな人と感覚が似ているかもしれません。
誰かに作ってもらうよりも、
「この材料をこういう風に使うと、どうなるんだろう」
「このぐらいの温度で調理すると、どうなるんだろう」
「このスパイスを入れるとどうだろう」
と、作っているプロセスが楽しくて、人に作ってもらうのではなく、自分でいろいろと試しながらやっていくプロセスに喜びを感じると思います。
「自動調理器」 なんていうものができても、そこにすべてを任せてしまう事はないでしょう。 (もちろん、上手に利用はするかもしれませんが)
そんな感覚です。
私は、ヘタでも不完全でもいいから、読む人の顔を浮かべながら自分が思ったことを文章で表現する、そのプロセスが好きなんだとつくづく思いました。
そうやってプロセスが楽しいと長続きします。
私がメルマガを始めたのはかれこれ今から9年前。
書くというプロセス自体が好きだったので、たとえ誰も読んでくれる人がいなくても、「へたっぴー!」と思っても、気にせずに続けることができました。
結果だけを重要視していたら、「誰も読んでくれないのに、私、何のためにこんなに時間かけてこれ書いてるんだろう。」と思ってすぐにやめてしまっていたと思います。
結果を求めるのは重要だし、大切です。
ただ、それだけではなく、その結果に到達するにはどんなプロセスを踏むと楽しくできるかということを考えてみるのはもっと重要なのではないかと感じています。
そうすると、たとえ最初予想していた結果が出なかったとしても、そのプロセスは自分の肥やしになるし、また新たな方向が見える場合もあり、結局はいい方向に進みます。
そして、ちょっと響きは悪いですが、たとえ明日死んでしまったとしても、100歳まで生きたとしも後悔しない、そんな生き方ができるようになります。
人生は結果ではなく、プロセスだと思っています。
といいつつ、私も昔は結果重視だったので、えらそうな事は言えません。
ただ、プロセスを大切にするようになってから1日1日が、とても実のあるものに感じるようになりました。
結果が出なくてもやってるだけで楽しいならそれでもいいじゃないと思い、チャレンジもできるようになりました。
そして、その結果として 自分が得たいものを手に入れられることになりました。
どうでしょうか?
あなたはどう思いますか?
ゴンサレス靖子
■ 写真提供 StockSnap~Pixabay