自分の当たり前と人の当たり前は違う、ということは理屈でわかっていても、なかなか全身全霊で納得するのは難しいものです。
この前、「自分に自信が持てない原因」というタイトルでメールマガジンを書いた時に、Sさんよりコメントを頂きました。
Sさんは、職場の上司や先輩から「もっと自信を持ったら?」と言われる事が多いそうです。
Sさん自身は、なぜそう言われるのか理解ができませんでした。
というのも、仕事はいつも責任を持ってやっているので、自信がないわけではありません。
Sさんは、「自信を持って仕事をする」というのはどういうことなのか、わからなくなってしまって、ネットでいろいろと検索もしてみたりしました。
その結果、思い当たるのは、仕事に関しての意見はほとんど言わない事でした。
自分が言える立場ではないし、上司の意見には従うのが当たり前だと思っているからです。
また、たとえ上司と違う意見を持っていたとしても、忙しい上司に時間を割いてもらって、わざわざ話をしようとは思いません。
しかも、話をしたからとと言って、何かが変わるわけではありません。
(要は、別に意見を言いたいとは思わないのです。)
もちろん必要な場合は報告はするし、トラブルがあれば、すぐに知らせます。
そうやって、人の意見を受け入れる事が多いので、周りには自分は何の意見を持たない人だと思われているような気がするとの事です。
でも、Sさんは、意見がないわけではないけれど、それを主張するよりは、人の意見を聞き入れた方が心地よいとも言っています。
Sさんの ”当たり前” は、「無駄な討議はせずに、全員一致でスムーズに前進していく。」ことです。
そのためには、人の意見もすんなりと受け入れます。
私はSさんと反対で、多くの場合は、自分の意見を言わないと気が済みません。
それが受け入れられなくても、理解されなくても、共感されなくても、その点は気になりません。
とにかく吐き出さないと消化不良になります。
私の ”当たり前” は、「思っていることは何でも言う。」事です。
もし、自分の当たり前がみんなの当たり前だと考えたとしたら、
Sさんは、私の事を「なんで、そんな無駄な意見言うの? 前に進まないじゃない。」と思うでしょう。
私はSさんの事を「なんで自分が思ってること言わないで、黙ってるの? 何か言ってよ。」と思うわけです。
(実際は、Sさんも私も”自分の当たり前がみんなの当たり前だと思っていないので、このような事にはなりませんが。)
また、Sさんのケースでも、私のケースではなく、言った事には同意して欲しいし、受け入れて欲しいという人もいます。
そんな人は、私たちを根気よく説得し続けるでしょう。
人それぞれ、”当たり前”が違うものなのです。
それを頭の隅に置いておくと、もっと生きやすくなるのではないかと思っています。
ゴンサレス靖子